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バイブル・アンド・アートミニストリーズ展2024
2024 11-6〜10 東京目黒にてクリスチャンアーティスト達による展示会と能登半島のチャリティーイベントが開催されました。
それぞれの個性の絵や作品が展示され、私は最終日の日曜日に行きました。沢山の人が訪れていて、アートによって人々が集まることの意義や力というものを感じました。
チャリティーなど、弱って助けが必要な場所に経済を集めて送ることができる。そんなイベントも一緒に開催していける仲間をこれから私にも与えて下さるといいなと思う。
私も今後生活が落ち着けばさらに絵を描くことに取り組みたいと思うし、クリスチャンクリエイターと繋がって行きたいと思う。
これから暫くは、祈り求めていたキーボードが遂に最近買うことが出来たので、伴奏の向上や、新しい賛美を主から受け取る事に当面は時間を割くと思いますが、聖霊が導く時は急に絵も描き始めるものです。
賛美チームも沢山構成して、路傍賛美や歌舞伎町での賛美も、第1回目が始まり動き出しているので、段々構成していけたらと思います。
賛美&伝道チームの構築。祈っていきたい。
【新しい船出】
この度主がTokyo Bethel Churchにメンバーとなるよう示してくださいました。ホームとして安心できる方々と、特に牧師夫人から感じることのできる、暖かい愛がとても嬉しいと思えました。
実の家族も大切ですが、Tokyo Bethelにてこれから霊の家族として一緒に経験して学び、成長していける事に期待しています。私の両親ともそのうち恵みの繋がりとなればと願います。
イサクが何度も井戸を掘り、移動を続けてやっと争いのない井戸の確保をして安住するような感覚です。主と共に基盤作りが今始まろうとしています。
最近思うことは、1人で活躍する事より、繋がりを大切にして、それぞれの出来る形で応援、サポート、励まし会える出会いをこれから増やしたいという事です。クリスチャンやミニスターの繋がりを広げたい。まずは国内からですが、聖霊の導きの範囲で感動のある教会を訪問したり、紹介して頂けた働きを目にしていきたいと思います。
【主から与えられた召しに生きる】
教会にキーボードの弾き方を教えに来て下さいましたマリアンさんは、オルガンやジャズなどもあらゆるジャンルの弾き方を心得て、独自の賛美アレンジをうちだして発表されています。突き詰めた専門性あるプロの方から刺激を頂ける事はとても嬉しいです。
何に召し出されて導かれているかハッキリしている事はとても大切だと思います。
何に時間を使うか、誰と交わる時間を大切するのか自ずと絞られて、他の人達と人生の時間を無駄に使わず、的を得た生き方をする事が出来るからです。
私はキーボードを上達させるようにと主に言われていたのに、その術がわからず、レッスンに行くのが良いか、個人で発展させるのかどうしようと思っていましたが、今回マリアンさんアレンジの賛美の楽譜を買う事ができ、弾き方のコツを少しヒントをもらい、まずはマリアンさんの楽譜のままに弾いてみてアイデアを自分なりに汲みとることから始めようときっかけを頂く事ができました。毎日少しずつでも、主から促された事は、主の期待に応えたいので練習を積みたいです。
その他には、地元の祈りの歩行を続けています。始めてみて、その後色々な煩わしいことがありグダグダになってしまいストップになっていましたが、「従順して続けるように」と主が語られましたので、気を取り直して再開しています。
そして、定期的なオンラインの交わりや、たった3人の方達だけ、主が示し導かれた方々との電話の時間を大切に、例え電話であっても人格的にお互いを知り、主が託しておられる交わりを深めることを大事にしています。
SNS伝道も含めて、伝道がもっと出来るようにお祈りしていますが、その事も主は導いてくださるでしょう。
ipadを遂に買えて、本日6/1と始まりのタイミングかのような日に届き、これからデジタル画に取り組み、主から頂いた賜物を磨きいかすことも時間の投資をしないといけません。
英語も上達が必要です。
それ以外の事は、今の所主が示されていないので余計な事なのです。みことばと祈りと、主との交わりの時間にあとは集中します。
これらの事だけでも、私は少しも時間を無駄に出来ず、他の事は基本的に断る心を決めないといけません。数多くの分野や、人間関係がある中で、主が何を私に託し、何に時間を費やし、誰と向き合うのか、気を付けていないと、たとえ良いものであっても混乱や煩わしいものに主にあってなりえてしまうからです。
もしそれが何であるかわからず、手当たり次第になってしまっているか、又は何も始めていないのなら、まずは主との時間を沢山過ごし、主から受け取らなければいけません。自分が受け取った上で、預言的な方から確認していただく事はお勧めします。まず自分が受け取らずに、預言をする方に頼る癖がついてしまう事は、混乱や依存をまねく原因になりえてしまいます。
既に導きを受け取っておられる方、神様から頂いているギフト、得意な事は時間を費やして上達させていき、家族や、神の家族、経済的に困難がある方達、特にシングルマザーや孤児院、ホームレスを支援出来るようにまで発展させていく事を目指していく事をお勧めします。
【異言の解き明かし】
異言の祈りとは、天の父の御心を御霊が私の口を通して祈る、知性では理解しないことば、御霊による祈りのことばです。
私はいつも異言で祈り、その異言から来る感動を日本語にして祈り、また異言で祈るを繰り返して祈り続けています。
先日韓国からこられたチームの方が異言の解き明かしをしてくださいました。私はずっと2分程異言を祈り続け、彼女が耳元でその御霊のことばを通訳し続けます。その通訳の内容は、いつも私が日本語で祈っている事と同じ事でした。彼女の通訳は以下です↓↓
「私の愛する神様。私の心臓の深みから主を賛美します。私のたましいが愛する主よ。わたしの愛を受け取ってください。
わたしの涙一つが主の心臓を動かしている事を知っています。あなたが求めるところに、わたしの涙を流したいのです。
わたしの心の中心を全てあなたに向けたいのです。主の聖なる至聖所にわたしを導いて下さい。
わたしの深い悲しみの時に主はわたしに出会って下さいました。その主にわたしもお返ししたいのです。わたしの人生の全てを通して、主に栄光をお返ししたいです。
わたしの魂と霊を主の御座の前に引き上げて下さい。御座の前で主と愛を交わしたいのです。
もっときよく油を注いでください。これからわたしのくちびるは、主だけを賛美します。主の慈しみをわたしは体験していきます。
主の血潮の力をわたしは伝えていきます。救われるたましいをわたしは目覚まします。その事にわたしが完全に従順出来ますように。
喜んでできるようにしてください。わたしの全ては主のものです。」
わたしが日本語でいつも祈っていた事は、わたしから出たことではなく、わたしのうちにおられる御霊が、天の父の心によって祈らせてくださっていたことがわかりました。頭では知っていましたが、正確な異言の解き明かしをする方を主が遣わして下さり、確認と大きな励ましになりました。
先日1人でピアノを弾いて賛美をしていた時に思わされたのは、今での闘病や心の深い苦しみの時、たましいがよみにいるような時、そんな時に最高の賛美を捧げることが出来るようにしてくださっていたのは、わたしの自力でも強い信仰心からでもなく、御霊がしてくださっていたのだと理解をしました。
わたしはどこかで自分の通ってきたところを、わたしの信仰の強さだと、深いところではどこか高ぶりがまだあることに気づいていました。気付いてはいても、分かっていても、主からの啓示がなければ、本当の意味で砕かれないのです。
この時ハッキリ、ただ主の恵みにより、積まれた人々からの祈りにより、苦しみの境地で賛美する力を御霊が働き助けて下さってきたこと、わたしには誇ることは何もなく、全ては主の恵みであったことを悟り、今までで1番主に感謝と栄光をお捧げする個人的な賛美の時間でした。
わたしたちを通して達成する事、おきる奇跡しるしは全て御霊によることです。
栄光泥棒する者ではなく、主に栄光をお返ししていく人生を生きたいです。
【御霊によって歩む】
関わる人々が増えていくと、誰を、何を優先していくのかが大切になる。
私は絶対的に御霊との交わりの時間を確保することは失えない。
御霊と毎日歩まなければ自分を見失うようなものだからです。悪霊が不意に吹き込む偽りを黙想しつづけると一気に体温が冷たくなったり、力を失い起き上がれないなど体調が急激に悪くなります。そんな時は、御霊に助けを求め、ビジョンや啓示でどんな偽りの思いを退けるか教えてもらい、気づいた時すぐ体調が戻ることがあります。聖書のことばを、御霊の思いをいつも思い巡らし、探り、求めてそこに留まる必要があるのです。
人への依存や執着がないから、出来ることならずっと神様と2人だけの時間が私は好きです。この時間に御霊の感性が強められます。
それでも深く関わって行く人々は神様が導きお互いを深く知るようにしてくださる。御霊が導く人間関係には平安や喜びがある。そうではない人々とは、時間の無駄を感じます。
声がかかるところどこへでも行きはしないし、祈りやカウンセリングを求められても御霊の感動がなければ距離をとります。何でもかんでも引き受けず、殆どの時間はやはり、主との時間、主の御心の中心に居続けることを願い求め、そこから少しでも外れる事が嫌です。
主が私のスケジュール調整の感動を下さり、関わる人々を限定してくださり、学ぶ事や上達させる事に時間を作れるようにしてくださる。
良い事でも、その日その時間そのことを主が導いている事かどうか立ち止まり御心を求める必要があります。まだうまく出来なくても、少しずつ御霊とともに歩む事を意識して、祈りながら聖霊からの感動、感覚を大事にしていきたいです。
今、御霊にある思いなのか、傷からの思いなのか、悪霊からの感化されている苛立ちや行動なのか、いつも気を付けたいのです。
今伝えようとする内容や話し方は愛なのか、自我なのか、言うか言わないか。動機を自分で探る。失敗や反省は多いのですが、それでも一年後には今よりずっと主の品性が備わった者になれるであろう喜びがあります。
御霊に絶対の信頼をし、人生を委ね続けて行くことが私の平安です。失敗や悔い改めることはいつもありますが、御霊は責め立てる方ではなく、さとして導いてくださる優しい方です。
私の生涯この方と歩むことは何て喜びと幸せなのでしょう。
1日の始まりに、私と未来の夫が今日の1日が聖霊の神学校となり、必要なみことばや啓示や本、動画、情報に導かれるよう、知恵、分別があるよう毎日祈り、御霊に導かれる事を求めていきます。
主にあり、的を得て生きるとはそういうことではないでしょうか。
「ガラテヤ5:16 御霊によって歩みなさい。」
【賛美の備え】
良く知っている賛美リードをする子は、礼拝賛美ギリギリまで来ない事が多く、神様の前に心や状態を備える時間がないまま賛美リードを始めると、賛美の終わりの方でやっと臨在がくるような感じが一時期ありました。
でもある日珍しく、礼拝の1時間前に彼は会堂で1人主の前にギターを弾きながら、備え、主を待ち望んでいる日があり、早く来ていた彼に驚いた私は通り過ぎて二度見をしました。
そして、彼が賛美の時間になり前に立ちギターを最初かき鳴らした瞬間から、物凄い臨在の音に驚いてまた二度見した私がいたのをよく覚えています。
日曜礼拝が決まり事のように、ただの習慣のように集まるのと、主に最高の賛美を捧げたいと、心を備え、思い煩いをかなぐり捨てて、ただ主の顔を慕い求め、心を捧げる心備え賛美するのとでは全く違うのです。
メッセージをきくのも、主が私に今語りたい事を語って下さいと心で祈りながら聞き、又事前にもその様に祈るのです。
皆んなでお食事や団らんする時も、主が私の口を通して誰かに語り、人々の口を通して私に語り、啓示や祈りの答えを下さい。私を誰かの祈りの答えにして下さいと祈ります。
その様に日曜礼拝、または日々の生活で主を待ち望み期待し求める時、1週間いつも主は私を捉えて下さるのを体験します。
神様は生きておられ、私たちの祈りによって作られた神様の動かれる現場で、賛美のただ中に働かれる現場で、主の素晴らしさを体験していきます。
【家でイエスに出会った時】
小学生の頃から、私は周りの人とは同じような道を通らない事、普通に学生生活を終えない事を既に先に感じて察知していました。
中学生になり、学校生活の苦痛から引きこもりなどが始まり、やがて全身の強い炎症症状で寝たきりになりました。腕を目を凝らしてみれば白い蒸気がたっているのが見えた程、毎日続いた身体の熱さや、身体から滲みでてくる液を拭い続ける日々でした。
感覚の苦しみから逃げる為に、ずっと顔を叩き続け、顔にはいつも手形が残り、目を痛め白内障にもなりました。対人恐怖になり、電車に乗るにも2駅で気持ち悪くなり途中下車や、道で人と遭遇する事も避けるほど身体も心も蝕まれた期間がとても長く続きました。
悲鳴で泣き叫ぶのが止まらない時も、とにかく主にだけ希望とみことばを告白し、いつか私の人生は主の栄光を放つことを信じ告白し続けました。
ある日、あまりの精神の苦痛で、家のリビングのソファで気絶していく時、ソファの後ろから何かの霊が私に歩いて近づいてくるのがわかり、こんな時に悪霊がとどめを刺しに来たのかとも思い緊張した瞬間でした。
その霊はソファの横で立ち止まり、手を伸ばして、座っていた私の身体から、私の霊を引き出して、私は一瞬でソファの横に立っていてその霊の前にいました。
目の前にいたのは、イエス・キリストでした。
思い描いていたより、シュッと引き締まった顔が印象的でした。イエス様は私を何も言わずに抱きしめて下さり、いつのまにか何分後なのか分かりませんが、気づくと私はソファに座っていて意識が戻りました。
抱きしめてくれた時、病を癒してくださる事を期待したのに、私は変わらずそのままでしたが、残念でしたが主を信頼することはやめませんでした。
後日当時の教会で霊の恩師である宣教師が私を見つめて、「イエス様にあったのか?」と気づかれ、賛美の伴奏をすると「聴いていればイエス様に出会ったのがわかる」とおっしゃるのでした。
私はイエスが抱きしめてくれた後も、特に変化も感じず、ただ励ましてくれただけかと思っていましたし、宣教師とあった日もあまり気分がよくない日でしたが、私が思う以上の事をイエスはあの時してくださり、耐え忍ぶ力も与えられ、自覚はなくても私の霊にはシフトがおこり、強められたのだとその時知りました。
神様は一体何しておられるのかと思う様な最悪の時、天のお父さんである神様は私を励まし、乗り越え、信じ続ける事ができるように、その時その時いつも1番必要な形で、励まし慰めてきてくださいました。
今、苦しい日々の毎日にしがみ続け、支え続けてくださった主との関係は、毎朝目覚めて愛を伝え、仕事中に突然主の愛が注がれ涙し、寝る時にはまた主への愛と、主からの愛に心満ちる日々となりました。仕事以外、なるべくほとんどの時間は聖霊様との交わりの時間にしています。宗教的にではなく、それが1番の喜びだからです。苦しみにあった事はわたしにとって幸いでした。こんなに毎日愛する主の臨在が、日毎強まりながらこれから生きていくのですから。
この先どんなに辛い時も、あの時姿を見せて抱きしめてくださったイエスを思いおこし、これからも主とともに歩んでいきます。
【夢について 2】
ある日、夢で神様の声が「夢の解き明かしを教える」とおっしゃり、その時物凄い汗だくで目覚めました。ちょうどそのタイミングで誘われて訪れた東京渋谷福音教会で開かれていた集会のゲストが、夢を見て解き明かす海外からの女預言者の方と、もうひと方、女性使徒のお二人でした。
使徒職エリザベスは賛美のダンスで聖霊様によって踊り、見ているだけで凄い臨在で癒しが起こり私はとても激しく泣いていました。彼女のダンスには霊の権威をとても感じました。その日私は賛美リードをしたり、伴奏をしていましたが、集会後に彼女は私を呼んで弾かせ、それに合わせて天使達が「You are my healer, You are my deliverer」と歌っているのを聴いて彼女は真似して歌ってくださいました。とても強く思い出に残っています。彼女は私の両手に「主はあなたを信頼する」と油を分与してくださいました。
女預言者の方は夢の解き明かしをメッセージし、私にとって初めての夢の解釈、神様からのメッセージを夢を通してしっかり受け取ることの重要性の学びとなりました。
彼女が見たことのある幾つかの夢を見て話していましたが、夢の中で車が山積みに捨てられている夢、これは多くの人々が車に表される、召しやミニストリーを捨ててしまい、自我のままに生きてしまっていることを、神様が彼女に伝えた夢でした。この事を聞いた時、私は凄く悲しさや悔しい気持ちになりました。愛する神様の為に私は何を犠牲にしても、本来託されている事を成し遂げたいと思いました。
他の夢では、ピアノの鍵盤一つ一つに野菜が乗っている夢。これは油注がれた奏者によるピアノは霊的に栄養を与える事を意味するものでした。
この集会で私は現在のメンターと出会い、この方の神学校を初めて誘われて参加した時の講義内容も夢の解き明かしについてでした。
従順を求められる夢や、警告の夢、未来に起こる事をみせる夢、現状の霊性を教える夢。あらゆる形で神様は語り導いて下さる方です。
私は先に夢で見せてくださっていなければ、乗り越えるのが困難なところを通る経験もありました。私を守る為の警告の夢を、真剣にとりなさず夢で見た通りの死線を通ることもありました。警告の夢は、それが起きないように祈りで解決する必要があります。
神様からの大事な夢は悪霊に奪われて思い出さないことがありますが、祈りで取り返し、内容を思い出す事もします。とても気になる夢をみたら、主の前に静まって解釈を求める事をお勧めします。私もこれからは更に夢の解き明かしについて求めて祈っていきたいと思っています。メンターや解き明かしに長けておられる方からもアドバイスやヒントをいただいてきましたが、夢は皆で神の知恵なる解き明かしを求めていきます。
自分の部屋の中は、自分の心のなかを意味したり、髪をお風呂で洗っていれば、思いをきよめていることを意味したり。私の場合はSeerでお祈りの際映像を沢山みるので、解釈がある程度頭に入っているのは大きな助けになります。でも、その都度見たものの意味を聖霊にきくのは大切な事だと思います。
悪霊追い出しをする時も、悪霊に名前を聞き出したりしません、霊の目視で何の霊か判断したり、名を聖霊様に聞いていつも教えて頂いています。いつも自分の知識や経験から理解しようとしても、私には未経験の事を通られた方達のケアも今もこれからもあるのです。全ては聖霊の導きや教えて下さることにより頼みながら私達は主に仕えていくのです。
マーク・バンヤード氏来日集会
東京渋谷福音教会の会場を借りて、マーク・バンヤード氏来日集会が開かれた。
昔、父の教会にも訪れて下さったカナダからの神の器。今年はまず日本に行くようにと神様に指示をうけ、何度も来日されていますが、今回の日本の集会はいつもと違うと語る。日本に主の火が降るのを見たが、聖霊の風がこれを掻き立てるのだと言う。
私は午後から参加出来ましたが、近くの座席の人々と、御国が地に来る様にグループになっていのり、イスラエルの為に、日本の為に続けてみんなでお祈りをしました。
神様へ集中することをメッセージし、癒しの油注ぎがきている中での一人一人へのお祈りがされました。横山大輔夫妻が賛美も導き、臨在に包まれた一時となりました。
会場となった東京渋谷福音教会は、20代前半に私が初めて外部での賛美リードするお招きを頂いたところで、初めてメンターと出会った場所でもあり、アナ・メンデス来日集会もこちらで開催され、20代前半の思い出に刻まれている場所です。15年ぶりくらいか、今日久しぶりに訪れ懐かしさや、もうこんなに月日が流れたかと、しみじみした1日となりました。
【夢について 1】
子供の頃から寝れば必ず夢を見ました。今までの人生で何も見ずに起きたのは5回程しか記憶にありません。ひたすら色んな夢を見続けて起きて夢の整理をする毎日です。小学生〜中学生頃は霊的な攻撃が強まり、悪夢の毎日だったので、夢の状態から強制的に目を覚ます方法を心得ました。とはいえ、目を覚ましたとたん部屋は勿論悪霊の存在があり金縛りが始まるパターンがお決まりでした。金縛り中はある日は横で椅子に座っている女や、ある日はアラジンに出てくる青い魔人のような霊。同じ時に兄が同じ女を見る時もありました。
ある時は金縛り状態で電気棒で何度も打たれるように電気ショックを体全体にバリバリムチ打たれる事もありました。
流石に疲弊しすぎて困り、当時父の教会にゲストで訪れてくださったご夫婦にミニストリーをしていただきました。そしてよく見ていたある悪夢は2度と見なくなりました。
それは2シーンある夢で、大昔の時代の寂しい場所に藁葺きの小屋が見え、次のシーンでその小屋の中に白い着物の女性が1人で寂しそうに座っているのです。前は高貴な女性だったとわかる人なのです。この女性の顔がバリバリと怖い般若のような顔に裂けていき、ここで必ず目が覚め、金縛りが始まります。何度もこれが繰り返されるので、夢の中で藁葺き屋根の小屋が見え始めた瞬間「またか」と腹をくくるのでした。
お祈りをして頂き、主が悪霊の名を私が分かるようにしてくださり、ご夫婦がその名の悪霊をイエスの名で叱りつけ、その後その夢を見ることはなくなりました。この夢が私の家系の者の罪の故に苦しめられ滅んだ天皇家にまつわる女性であった事を知り、家系の呪いについて啓示されるのは10数年後の事でした。
今は悪夢を見たり、金縛りはそうそうありません。ある時は祝福や霊的打ち破りの直前です。
若い時は霊の闘いが分からずこんな感じの連日でした。夢で神様から戦略や警告を先に知る事は当時あまり分からず、悪霊に侵入されっぱなしだったのです。夢で神様に用いられ自分も人も助けることが出来るからこそ、夢に攻撃が多かったです。
皆さんも、神様から用いられる領域こそ、1番攻撃や邪魔をされてきたと思います。聖霊様の助けで覆していきましょう。油注ぎに主は変えてくださいます。人前で語る事かもしれません、自分の存在意義かもしれません。結婚かもしれません。経済かもしれません。沢山悪魔に嘘やトラウマに邪魔されて、自信を奪われたコンプレックスの葛藤の領域が実は神様が1番用いたい事だったりします。取り返していきましょう。
次回は夢の解き明かしを主が導き始めてくださった時のことをシェアしたいと思います。
通路チャペル/代々木公園
毎週土曜日朝7:30〜
色々な教会や、海外からの宣教チームを交えて代々木公園の生活困窮者の為に賛美とメッセージ。食料の配給がされています。
貧しい人々へ神様の心が注がれている。人間的には非力さを感じる現場ではあるけれど、このミニストリーには主ご自身が携わり、供にしておられる。グループにわかれてディスカッションをし、それぞれメッセージからどんなことを感じたかシェアして行く。人前では神様を受け入れることを決心するのは少し抵抗がある場合があるので、おそらく信じたいけどもっといいタイミングやきっかけがあると思う。
皆んなが解散した後に、まだ1人で座っている方や、もう私も何度も来ているので仲良くなってハイタッチして挨拶している方達には少しでも話しかけてみたりしている。そんなタイミングで救いの祈りに導く事が出来た方もいた。その時私達2人で体験した天の喜びの歓声は凄かった。サッカーの国際試合でゴールを決めた時のあの歓喜歓声と同じだった。霊の位置するお腹のところから喜びの騒ぎが聞こえた衝撃体験でした。1人の人が永遠の救い、真の後の家を得る事は、天で何という喜びなのでしょう。
私は孤児院のミニストリーを願っていたけれど、豊かな日本国内では中々機会がない。ホームレスの方達の為に携わりたかったけれど1人では怖くて、機会がなかった。
今この通路チャペルで皆んなと一緒に其々の出来ることで協力して、天の父の心を叶えているこの場が私は今1番喜びを感じます。
教会で奉仕する事も勿論大切ですが、天の父の心は、野外で寒い思いをしている生活困窮者達を思っている。私も自分の部屋で暖かくしていると、いつも彼らの事が気になる。大した事は出来なくても、短い時間でも側にいてあげる事だけでもそれが嬉しい人は必ずいると思う。
笑顔を見せてあげるだけでも、小さなミニストリーだと信じます。
預言的アート/Janet Hyun 日本の為に描く
11/26 ジャネットがFreedom Tokyo Worship Centerにて、会衆賛美の中、描いた作品。
獅子のイエスの瞳には日本国旗の白と赤が描かれ、Revival is in JAPANと聖霊によって記す。
日本のリバイバルの時が、終わりの時の始まりなのだと彼女は言う。
この絵はFreedom Tokyoがプレゼントとして受け取った。当教会に油注がれた預言的アートを主が贈り続けている。
期待したい。
預言的アート/Janet Hyun
彼女の預言的アートの絵で悪霊が混乱し、同士討ちを始めた証しや、描いたライオンが飛び出して死んで天に上ろうとする霊を地上の体に戻したという証しなど。
私も彼女の絵を買い、部屋に貼った日から部屋の霊的静かさや、きよさを感じ、眠るときも、目覚めた時も森林の中にいるような綺麗な霊的空間に変わったのが分かる。御利益思い違いをしていのではありません。
霊的攻撃が多い私にとっては本当に助かる。守りの祈りをして、同じ静かさを感じることはあるが、彼女の油注ぎのある、主の臨在が留まっている絵を飾っていると、常にその状態なのだから凄い。
Janetが手を置いて私の描き手としての油注ぎを祈ってくれた時を導いて下さった主に心からの感謝と、応援してくれている心を受け取った。
預言的アートについて/Janet Hyun 来日集会
ジャネットが神様にしめされ、日本に来日。世界的に知られている、預言的アートを聖霊によって20年描いてこられた方。
アジアにて預言的アートを目覚めさせるようにと神の御心を受け止め従順して日本に来て下さった。
彼女の絵を見ているだけで、数々の驚くべき奇跡がおきている超自然的証を聞くことができた。獅子の絵を見つめているとイエスが現れて話しかけたり、子供にもイエスが現れて、直接絵の書き方を教えてくれたという証も面白い。同じ絵でも見るときによって語られる事は違うと語る。
描き方は一から聖霊が教えてくれたという。教本も作り、私たちも学べる。通訳がいればオンラインでも教えていきたいと意気込むジャネット。
油注ぎのある絵を描く為には、心の平安や余裕を確保する為に、喧嘩や思いが乱される環境や人間関係からはとにかく使命感を持って避ける。たとえ自分が悪くないのに争い事をけしかけられたなら、自分から謝ってあげて去る。徹底した心のきよさの確保を心掛けているというのだ。これも一つの自身を聖別した生き方なのでしょう。復讐は主がされると言う。
私もこの自分の携わる環境が平安な場所を選ぶ事で、絵をまともに描ける余裕が出来ることをよく知っています。敏感なだけに、守られた環境を選ぶことは必須です。
描いたそのときの描き手の霊がそのまま絵にこもる。鑑賞する者の霊にそのまま影響を与えるのだ。絵は霊の世界とのポータルであり、暗闇の預言的アートもあれば、光の預言的アートもある。明るい絵だから霊的に光なわけではない。家に置くアートは本当に気をつけなければいけません。
悪い絵を見ただけで鬱になってしまった敏感な子がいました。Tシャツ一枚にも何がプリントされているかよく吟味するべきです。